あまりの緊張でシャッフルテストで失敗、下から2番目のクラスに編入
ワーホリの1年間で”仕事で通用するくらいの英語力を身につける”。それが私のゴールだった。3年間勤めた仕事を辞め、アパートを引き払い、貯金+退職金を持ってオーストラリアのパースにたどり着いたのはとある4月。
最初の3ヶ月は語学学校に通う事が決まっていた。
“現地での生活に慣れるまで最初の3ヶ月くらい語学学校に通うといいよ。”と、日本で準備をしていた時に通っていた英会話スクールでアドバイスをいただき、何の疑問も持たずに申し込んでいた。(が、それがワナだった!!!)
語学学校ではまずクラス分けテストがあります。
試験中、背の高い男の先生が私の周りをグルグル歩いているような気がして、ガチガチに緊張・手汗をいっぱい書きながら回答。読解問題は気もそぞろ、後半のリスニングはとにかく焦ってしまい、良い手応えではなかった。
午前中にテストがおわると、ランチタイムを挟んですぐに振り分けのクラスが発表になり、私は廊下の突き当たりにあるクラスに行くようにと言われた。その段階では自分が振り分けられたクラスのレベルは分からなかった。
同じ日に入学した生徒のうち日本人は私を含め3人だったが、うち1人は同じクラスになった。
そこはリトルアジアだった
まだランチタイム中だったため、誰もいないクラスに入り、荷物の置かれていない空いている席に座った。まもなくランチタイムが終わり、生徒が次々と教室に戻ってきた。20人くらいいただろうか。聞こえてくる会話を聞いて最初のショックを受けた。
日本語と韓国語しか聞こえてこなかった。「ここには日本人と韓国人しかいないのか!?」
そして午後の授業が始まり、先生は現在完了形について説明していた。その間クラスメート達は聞いている様子もなく母国語で喋り続け、先生は何度も”no mother languages !!”と叫んでいた。
人生終わった。。。
まず最初の授業を受けてみて気づいたのは、日本の英会話スクールと同じような中学レベルの文法をおさらいするクラスに振り分けられてしまったことだった。そしてクラスメートは日本人と韓国人がほぼ50%50%、そして中国、マレーシア、ヨーロッパからの生徒が数人いるということ。みんな国籍毎にわかれて座っていた。
近くに座っていた日本人、マレーシア人が教えてくれ自分の置かれた状況が理解できてきた。
- 6つのレベルのうち下から2番目のクラスに振り分けられた
- 3ヶ月に1回学力テストがあり、パスすれば上のクラスに上がれる
でも自分は3ヶ月しかこの学校には通わないし。。。
仕事を辞めてまではるばるオーストラリアまで来たのに、私は英語圏にいながらあえてお金を払ってまで英語が話せない人達の中に飛び込んでしまったのだった。これから3ヶ月の間、週5日、6時間は英語が話せない人達と時間を過ごすことになる。
ショックで涙が出てきた。トイレに入って声を出さずに泣いた。
どうするか真剣に考えた夜
ホームステイ先に帰り夕飯を済ませた私は部屋にこもって考えた。
「これからどうしよう。」
なぜならあのクラスに月曜日~金曜日、9時~15時まで3ヶ月通って、英語力が伸びるとは思えなかったからだ。
かといって語学学校には3ヶ月分の授業料を日本を出る前に既に全額払ってしまっていた。
通わないとお金がムダになる、通い続けると1年のうちの1/4がムダになる。通わなかったとしてじゃあ私は何をしたいの?負けを認めて早々に日本に帰るの?
本当にガックリ、ガッカリだった。最初の一歩から間違えてしまった。
私が下した結論とは
大学受験も失敗したし、賢くもない、これといった特技も才能もない。
“自分にはやっぱりムリだったのかな、うん、ムリだったんだ。”
そう考えているうちに私は自分に対して腹が立ってきた。
悔しすぎた。カンタンに諦められないくらいの犠牲を払ったし、何よりかっこ悪い。諦めるのはプライドが許さなかった。
“なんとかしてやる。”そう思ったら、脳が働き出した。
“あの下から2番目のクラスが良くない。上のクラスに入れば英語が話せるクラスメートができるはず。そうだ!校長先生に頼んでみよう。”
決めたら行動するのみ
早速私は準備を始めた。翌日校長先生に会いに行くことしたのだが、
・上のクラスにあげてほしい
・私にはその実力がある
この2点をしっかり伝えないと失敗する。だからスラスラ自信を持って伝えなくてはならない。
そこで私は英作文を準備した。紙に書いてみて、読まなくてもよどみなく言えるよう何度も練習した。
準備はできた。気持ちが高揚していた。明日が楽しみだった。寝よう!
いざ、交渉へ
翌日、全ての授業が終わったあと私は学校のクラス棟をでて中庭を横切り、教員棟へ向かった。校長先生に会うためだ。
さて、社会人経験の浅かった私は事前にアポを入れるなど思いつかず教員棟の受付で「校長先生に話がある。」と伝えると、受付の女性からソファーで待つように言われた。
しばらくすると、校長先生が現れた。「あ、この人がクラス分けテストの監督だったのか。校長先生だったんだ。」心の中でひとり納得。
彼は私の前に座り、「何か困ったことでも?」と質問した。いざ本番だ。昨晩の練習通り自分の思いを彼に伝えた。
「私がオーストラリアに来た理由は、英会話を身につけるためです。私は1年で流暢に英語を話せるようになり、日本に帰国したら英語を使ってバリバリ仕事をするんです。でも今のクラスでは残念ながら私の夢は実現できないです。校長先生の権限で私を上のクラスに移してください。」
伝えたい、分かってほしい、その一心だった。そう、練習では堂々と、スラスラと話すことや、文法が正しいか、自然な英語かを気にしていたが、実際の場面ではそんな余裕はなかった。
校長先生は私の話をじっと黙って聞いてくれた。そして、彼が口を開いた。「君の言いたいことは理解した。だが、君のクラスを変える権限は私にはないんだ。」
私は驚いた。「えっ!?校長先生なのに、クラス変更ができないの?」
校長先生はさらに言葉を続けた。「クラスの変更を決定するのは君の担任だ。彼らが君の能力を一番よく理解しているからね。だから、君は担任と話をしてみて。彼らが認めれば、クラスを上げることができるよ。」
結果どうなったか。
私はすぐさまクラスへと向かった。ちょうどそのとき、担任のJennieが教室から出てきていた。
「Jennie、私、あなたと話がしたいことがあるんです!」校長先生に訴えた言葉を、私はJennieにも伝えた。Jennieは温かい笑顔で私の話を聞き、「あなたは自信がありそうね。」と言った。
そして翌週、私は一つ上のクラスへと進むこととなった。
この経験を通して伝えたいポイントは次の2つです。
1.置かれている状況が気に入らなかったら変える努力をしよう。
2.行動が自分も英語力も成長させてくれる。
“まだ英語が話せないから”と黙っていたらいつまでも話せないままなんです。変えるのは行動しかないんです。
でも行動する前って、”自分になんかムリなんじゃないか”と心の中でネガティブな声が聞こえてくるものです。わかります、怖いんです!けど、怖いのは動き出す前で、いざ動き始めると行動そのものに集中し恐怖心は消えてしまうものです。
たとえ結果が思い描いた通りにならなくても、経験値・自信がついてスタート地点とは違うどこかにいるはず。そして挑戦している自分をきっと愛おしく思うはず。
私自身、最終的にはこの語学学校で3ヶ月学んだわけですが、初月に3回クラスアップし、4つ目のクラスで会話力を磨いたのです。しかし、校長先生や担任との交渉プロセスもまた、私の英会話力を鍛える貴重な経験となりました。
自慢したいのではなく、状況を変えることができるのは自分の行動しかないということを伝えたくてこのエピソードを記事にしました。
ワーホリを検討中の方に伝えたいこと
留学やワーキングホリデーを計画している皆さんへ、私から4つのアドバイスをお伝えしたいと思います。
①目的と目標を明確に設定する: これは挫折を防ぐための鍵となります。私達人間はラクな道を選びがち。”なぜ英語を話したいのか、1年後どうなっていたいのか”ここをうんと掘り下げて具体的にしてください。
②渡航前に可能な限り英語力を向上させる: これは渡航後の経験を大きく左右します。一度リトルアジアのような状況に陥ると、そこから抜け出るのはなかなか大変です。
③「自分にはまだ難しいかも」と感じることに挑戦する: 1年は長いようで短いです。迷い、ためらいに左右されるほど時間はありません。
④日本人の集団から離れる: もし目的が遊学ならこんなことは言いません。ですがあなたが英語力を本気で向上させたいなら、”1年間は日本語を使わない”と決め、実行するとイヤでも英語力は強化されます。
本記事を読んだみなさんが、英語力を向上させ夢に向かわれることを願ってやみません。
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